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最高裁判所第一小法廷 昭和59年(オ)637号 判決 1984年11月22日

上告人 佐藤謙一 外一名

被上告人 佐藤隆之助

主文

原判決を破棄する。

被上告人の控訴を棄却する。

控訴費用及び上告費用は被上告人の負担とする。

理由

上告代理人○○○○、同○○○○○の上告理由第一について

原審の適法に確定した事実関係のもとにおいて、被上告人と上告人ら間の養親子関係が破綻したとした原審の判断は、正当として是認することができる。原判決に所論の違法はなく、論旨は採用することができない。

同第二について

有責者である養親は、無責者である養子に対し、その意思に反して民法八一四条一項三号により離縁を求めることはできないと解すべきである(最高裁昭和三七年(オ)第三九二号同三九年八月四日第三小法廷判決・民集一八巻七号一三〇九頁)。これを本件についてみると、原審の適法に確定した事実関係によれば、養親である被上告人と養子である上告人ら間の養親子関係が破綻した原因はすべて被上告人の側にあるが、上告人らは、被上告人を扶養することを希望し、被上告人との離縁を望んでいないというのであるから、有責者である被上告人は無責者である上告人らに対し離縁を求めることはできないものといわなければならない。

ところが、原審は、(1)本件縁組の目的は、被上告人夫婦の扶養とその財産の管理にあつたが、その主要財産は被上告人により上告人ら以外の親族に移され、上告人らに残されたものは朽廃した家屋と裏山、それに被上告人に対する扶養義務のみであるところ、被上告人は上告人らから扶養されることを拒んで上告人らの下を去つてしまつたのであるから、たとえ上告人らが縁組の解消に消極的な意思を表明しているからといつて、そのことのみの故に縁組を維持させることは、上告人らに酷な結果を招来する、(2)上告人佐藤謙一が被上告人との離縁を肯認しないのは、従来の家の観念から脱却することができないためであり、また、養親の扶養の代償として残された前記裏山さえも養子縁組の解消によつて被上告人及びその周囲の者から取戻されることをおそれてのことと思料されるが、そのような危惧は杞憂にすぎず、そのことが上告人らに了解されるならば、本件において離縁を認めても上告人らの真意に反しないとして、被上告人の上告人らに対する離縁請求を理由があるものとして認容した。しかし、上告人らが離縁を望んでいないことは、前記の原審の適法に確定した事実関係のみならず本件訴訟の経緯に照らしても明らかであるから、本件において離縁を認めることは、上告人らの意思に反するというべきであるし、また、そうである以上、たとえ縁組を維持させることが上告人らに酷な結果を招来するとしても、それは有責者である被上告人の本件離縁請求を認容すべき理由にはならないというべきである。

そうすると、被上告人の本件離縁の請求を認容した原判決には民法八一四条一項三号の解釈適用を誤つた違法があるというべきであり、その違法は判決の結論に影響を及ぼすことが明らかであるから、論旨は理由があり、原判決は破棄を免れない。そして、被上告人の本件離縁の請求を理由がないものとして棄却した第一審判決は相当であるから、被上告人の控訴はこれを棄却すべきである。

よつて、民訴法四〇八条、三九六条、三八四条、九六条、八九条に従い、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 和田誠一 裁判官 藤崎萬里 谷口正孝 角田禮次郎 矢口洪一)

上告代理人○○○○、同○○○○○の上告理由

第一 縁組当事者が破綻状態にあると認定した原判決は、判決に理由を附せざる違法がある。

一 原判決は、理由二において「控訴人(被上告人)と被控訴人(上告人)間の養親子関係は被控訴人(上告人)らが○○の家を立退いた時には完全に破綻した」と認定している。

二 しかし「原判決(被控訴人らの反論)において認定されているように、原審において上告人は、「本件において縁組が被綻しているとは断じ難い。たしかに控訴人は離縁の意思を明らかにしているが、その理由は、被控訴人らが始めから財産をねらつて計画的に養子に入つてきたというものであつて、高齢者に特有の根拠のない思い込みに過ぎないから、破綻の一要素である当事者の主観的要素として考慮するに値しない。また別居の状態が長期間に及んでいることも事実であるが、被控訴人らにはいつでも控訴人と同居する用意があり、この点からも、養親子関係が破綻しているとは言い難い。」と主張しており、上告人両名も、原審(佐藤謙一のみ)及び第一審(上告人両名)において、今後とも被上告人と同居し扶養していく意思があることを供述している。又、○○の家は、上告人・被上告人らが同居していた家であるが、山の中腹にあり、不便な場所である。これに対し、上告人らの住居は山麓にあり、被上告人の現住所地(佐藤功方)にも近い。

上告人らは、上告人住所地における同居を希望しているのであつて、○○の家での同居を条件としている訳ではない。従つて、被上告人が、翻意すれば、直ちに同居することは可能であるから、完全に破綻したと断定するには、合理的理由が必要である。

三 原判決は、前述の如く「被控訴人(上告人)らが○○の家を立退いた時」には破綻していたと認定しているが、それ以前から別居状態は継続しており、一方、上告人らは、現住所地へ移転してからも同居を希望しているのであるから、原判決が右時点で破綻を認定するには合理的理由が必要である。

四 以上述べた如く、原判決は、<1>漫然と破綻を認定しているのみで上告人指摘の各事実を排斥する理由を示さず、<2>破綻の時期の認定の合理的理由が判決上不明であること、の二点において理由不備の違法がある。

第二 有責当事者から離縁請求を容認した原判決は、民法八一四条一項三号の解釈を誤つたものであり、判決に影響を及ぼす法令違背がある。

一 民法八一四条一項三号「その他縁組を継続し難い重大な事由があるとき」の解釈に関して、縁組破綻の原因について有責の者、あるいは、有責性のより大きい者からより小さい者に対する離縁請求を認めないとするのは、確定された判例である。

すなわち、最高裁昭和三六年四月七日判決は、「八一四条一項三号にいわゆる「重大な事由」は、必ずしも当事者双方または一方の有責事由に限ると解する必要はなく」とし、三号が破綻主義的離縁原因であることを示した。しかし、これは客観的に縁組が破綻している場合、破綻について双方が無責であつても「重大な事由」に該当することを判示したものにすぎず、有責当事者から離縁請求を容認したものではなかつた。

そして、最高裁昭和三九年八月四日判決は離縁の訴に関する民法八一四条一項三号の『縁組を継続し難い重大な事由』は、必ずしも当事者双方または一方の有責であることに限られるものではないけれども、有責者が無責者を相手方として、その意思に反して離縁の請求をなすことは許されないものと解するを相当とするのであつて、その法意は、離婚の訴に関する同法七七〇条一項五号と異なるところがないのである。」とし、民法八一四条一項三号の解釈に関し有責当事者からの離縁請求を否定した。また、最高裁昭和四〇年五月二一日判決も「原判決が、挙示の証拠関係から、被上告人と上告人との原判示離別以来すでに一六年余を経過し、現在においてはもはや両者間には経済的な扶養扶助の関係はもちろんのこと、通常の社会生活上一般に認められ要求される親子としての交際はみられず、また合理的な親子の関係として要請される精神的なつながりも全く失われているものと認めざるをえないとした上で、右のように養親子間における実質的な親子関係が客観的に破壊されたものと認められる場合に、一方の当事者がその養親子関係の解消を望むならば、養親子関係が破壊されるにいたつた原因が、全面的にまたは主として、その解消を望む当事者側にある等身分法を貫く正義の原則に著しく反する特段の事情がない限り、その当事者の離縁請求は、縁組を継続し難い重大な事由があるとして許されるべきであるとして、右特段の事情の主張立証なく、これを確認しうる訴訟資料のない本件にあつては、被上告人の上告人に対する離縁請求は右重大な事由の存在を原因として認容されなければならないとしたことは、首肯できる。」としている。

二 ところで本件について、原判決は、「両者の間には民法八一四条一項三号のその他縁組を継続し難い重大な事由があるというべきであるが、その原因はすべて控訴人の側にあるといわなければならない。」とし、被上告人(控訴人・原告)の破綻原因に関する全面的な有責性を肯定しながら、全面的有責者からの離縁請求を肯定しているものであり、前記確定判例に真向から対立するものである。

原判決はこの点について、

<1> 本件縁組の目的を被上告人夫婦の扶養とその財産の管理にあつたと認定した上で主要財産を処分した結果、被上告人が無資産となつた現在、養子縁組をなした目的はなくなり、かつ、上告人らに残されたものがわずかの資産と被上告人に対する扶養義務であるという現状では、縁組を継続させることは上告人らに酷な結果を生じる。

<2> 本件両当事者とも家の観念にとらわれすぎており、推測される上告人らの裏山を失うのではないかとの危惧も杞憂にすぎず、この点の心配がないのであれば離縁を認めることも上告人らの真意に反しない。

との二点を理由に離縁の請求を認容した。

しかし、被上告人の全面的な有責性を肯定しつつ、被上告人からの離縁請求を容認することは、前記昭和三九年及び同四〇年の最高裁判決をいかように解釈しても導き出しうる結論ではない。原判決は、昭和三九年最高裁判決を自ら引用しているが、原判決が確定された最高裁判決に反することは明白であり、かつ、民法八一四条一項三号の解釈を誤つたものであることも明らかである。

原判決の判決理由二を、以下順次検討する。

三1 原判決は、本件縁組の目的として、扶養と財産の管理を並列的に掲げているが、これは誤りである。上告人佐藤とみにとつては、やすは実母であり、被上告人は、叔父(実父の弟)であると共に実母の夫(内縁)である。本件縁組のきつかけは、「昭和三九年六月にやすが病気になり、容態が悪化したため、とみが親許にきて看病した」ことにある。これは、当時、やすの他の子供達がやすと被上告人夫婦の世話をしなかつたため、福島県○○町に居住していたとみが、自発的にやすの看病をしたものである。他の親族にとつては、とみがやす及び被上告人と同居して扶養するのが、最も好都合であつたため、その手段として、謙一・とみ夫婦を被上告人の養子とし、佐藤家の財産を継承させることになつた。しかし、とみにとつては、他にやすらの扶養を希望する者がいない以上、自発的に扶養を申し出たのであつて、財産の継承というのは副次的あるいは結果的なものである。上告人佐藤謙一も、妻とみの実母及び被上告人に対する愛情は夫として当然理解しており、従つて、同居して扶養することには異存はなかつた。

2 原判決は、右事情を看過したため、扶養の対価としてのみ財産の継承をとらえてしまつた。従つて、原判決は、主要財産を失つた上告人らに、扶養義務のみを残す結果となる本件縁組の維持につき、上告人らに「酷な結果を招来することが予想され、かえつて正義に反する結果となることが考えられる。」という推論に至つたのである。しかし、とみ及び謙一にとつては、やす及び被上告人に対する愛情は、縁組当時に比べいささかも失われておらず、却つて、高齢となつたやす夫婦に対する懸念は強まつており一日も早く同居することを望んでいるのであつて、上告人らの意に反して離縁を認容することこそ、正義に反し、酷な結果を招来するものである。

3 以上述べた如く、原判決の前記推論は、証拠にもとづかず、結果的に、上告人らの真意と正反対の推論となつている。

四1 原判決は、「本件両当事者や親族が家の観念にとらわれている」と認定している。

2 しかし、我が国における養子制度の歴史、そして現在の運用状況に照らし、家の観念を否定し去ることは、なお早計である。この点は離婚の場合と明確に区別されなければならない。

離婚の場合においては、戦前の男尊女卑の思想を払拭し、「個人の尊厳と両性の平等」の理想を実現するものとして、民法七七〇条に定める離婚原因の解釈に当たつても、有責主義から破綻主義への移行があり、かつ、これを容認することが、婚姻を平等な男女の結合とする近代的身分法の理念にも適合するものである。しかし、離縁の場合、我が国の戦後の養子制度は、夫婦共同縁組を存続させ、成人養子を認め、死後離縁を認めるなど、多分に家制度的諸要素を含んで成立した制度である。これは、未成熟の子の福祉を目的にする諸外国の養子制度あるいは養子制度の世界的趨勢とは異なるものである。しかし、我が国古来の制度、慣習に由来するものであり、また、現在なお多数の夫婦養子縁組、成人養子縁組が行なわれているという現状もある。従つて、元来が家制度と強く結びついて成立し、また、これに基づいて運用されている養子制度にあつて、当事者が家の観念にとらわれていたとしても、そのこと自体を非難ないし否定的に評価すること自体誤りである。

五1 次に、原判決は、上告人らが離縁を肯認しない理由として、「裏山を取戻される恐れ」を推認する。しかし、右推認は、全く証拠にもとづかないものである。

2 上告人謙一は、原審における供述の中で、離縁に同意しない理由として、「損得に関係なく佐藤家を守つて行きたいと考えているからです。」と供述している。上告人としては、前述のとおり、やす夫婦に対する愛情から同居による扶養を望むと共に、一方で、佐藤家の承継者として家を守つていくという意識も有している。それは、とみにとつては、実父亡亀之助の遺志を継ぐことに他ならない。殊に、代々の養子がことごとく被上告人と合わずに家を出てしまつた以上、とみと謙一は、いわば、最後の切札として親族から懇請されて養子となつたのであるから、それだけ、強い責任感に支配されていることも事実である。

しかし、上告人らの右意識から、離縁に同意しない理由を原判決の如く推論することは不可能である。

上告人らにとり、佐藤家の財産は、子孫に継承すべきものであつて、個人的な財産という意識はない。従つて、「個人的に財産を得られれば、離縁されても構わない。」という考えを持つことはあり得ないのであつて、まさに、「損得に関係なく」財産の維持を図つているのである。

仮に、離縁に応ずるのと引換に、財産を上告人らに与える旨の和解条件が提示されたとしても、上告人らとしてこれに応ずることはあり得ないであろう。

従つて、原判決の如く、「裏山を失いたくないから離縁に同意しない」と推論し、更に、裏山を失わない以上、「離縁を認めても上告人らの真意に反しない。」と結論づけることは、主張も立証もない「上告人の真意」を仮定し、離縁を拒否している上告人の明白な意思を無視するものである。

六 原判決は、要するに、「縁組の目的がすでに失われているのに、上告人らが扶養義務のみ負担するのは、酷である。」という推論と、「裏山が確保される以上、離縁を認めても上告人らの真意に反しない。」という推論を結びつけて「上告人らの真意」即ち、「実質的に離縁に応ずる意思」を創り出し、「完全な有責者でも、相手方に離縁意思がある場合には、離縁請求を認容できる。」という結論を導き出そうとしたものである。

しかし、右推論は、いずれも、主張・立証のないものであり、その事自体、理由不備審理不尽の批判を免れない。結局、原判決は「完全な有責者であつても離縁請求は認容できる。」と結論づけたことになり、民法八一四条三号の解釈を誤つたものであるから、判決に影響を及ぼす法令違背があるものである。

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